人がひたむきに打ち込んでいる姿は、心の奥深くに眠っている感情を呼び戻す力がある。その感情は人によって違えど、揺さぶるきっかけになる。気がつけば、涙が頬を伝い、嗚咽して泣いていた。
一緒にテレビを見ていた家族の目も気にせず、溢れ出す感情のままに泣いた。
2019年、世界中が熱狂したラクビーワールドカップ。
アジアでの初開催に加えて、そのホスト国である日本の快進撃は凄まじいものだった。息子がラクビーしていることもあって、我が家もテレビに釘付けになった。
日本においてマイナー競技の位置づけにあるラクビー。前評判を跳ね除け、日本中を感動の渦に巻き込んだ事実は、私の心に深く響いた。
マイナー競技であるラクロスに没頭していた私自身の記憶と、ラクビーの立ち位置を重ね合わせる。
多くのトップ選手や関係者たちが、マイナー競技であることを自覚し、メジャーにするための絶え間ない努力が実った瞬間だっただろう。それを考えると、自然と涙が溢れ出した。

あの夏合宿以来、頭の中の霧が晴れ、「ラクロスがうまくなりたい」という真っ直ぐな思いを胸に練習に明け暮れた。
あんなに足取りが重かった日々が嘘のように、グラウンドまでの足取りは軽い。練習までの時間が待ち遠しかった。練習前日に天気予報をリサーチし、朝起きるとまず窓を開ける。雨が降っていた時の落胆具合なんて、ひどいものだった。人って生き物は苦悩した時間の記憶を、いとも簡単に消し去ってしまうものなのかと、感心してしまうほどだ。
三回生になると、積み重ねてきたものが徐々に形になってきた。先輩たちの足元には当然まだ及ばないし、まだまだ不格好ではあるが、無駄な動きが削られ、イメージした通りに動けるようになっていた。ラクロスが楽しくて仕方がなかった。
メンバー誰一人欠けることなく、それぞれのポジションも定まり、熱い会話が飛び交っていた。今思い返しても、ラクロスに情熱を注いだ時間はとても心地よく、つくづく満たされていたなと実感する。
ラクロスは学生が主体となり運営されている特殊なスポーツだ。理由は至ってシンプルで、大学での活動が主体となっているからだ。海外ではプロリーグも存在しているが、日本では発展途上のスポーツ。認知度もまだまだ低い。「学生時代、ラクロスやっていたんだ」と話題にしても、知らない人も多い。
アグレッシブでこんなに魅力的なスポーツが、マイナー競技に分類されていること自体、疑問すら抱いてしまう。そんな時は大人気もなくラクロスについて、熱く語ってしまうほどだ。
そんな発展途上のスポーツだからこそ、大学などの垣根を越えて、学生主体の体制が実現出来ているのだろう。
学生たちの手で、ラクロスを確固たる地位に築いていく作業は、他の競技にはなかなか真似できない。
日本学生ラクロス連盟が主体となり、3つの組織で構成されており、学生リーグに所属している大学ごとに3回生がその組織に所属し活動していくのだ。
私は広報委員となった。
仕事はまさに名前の通り、世の中にラクロスを広めるための広報活動。知名度を上げ、競技人口を増やすための大会の集客、リーグ戦のパンフレット作成、献血活動、子供たちへのラクロス教室など多岐にわたっていた。
学生の私にとって、全ての活動が新鮮で、違う角度から見るラクロスは魅力的だった。練習に明け暮れる日々の合間に、大阪市内にある事務所に集まり、お互いアイデアを出し合う。
自分たちの表現を形にしていく過程は地味だけれども、いざ完成形になったときの達成感は想像以上だった。
アイデアが詰まったパンフレットを手に取り、各大学へ配布する。なんとも言えない満足感があった。今も実家には、その時のパンフレットがひっそりと眠っている。
私の人生において、その経験は貴重で有意義な時間。社会人になり、仕事をする上でもその経験は生かされている。
いざ、クラブ活動に戻るとスタメン争いに奮闘した。1つ上の先輩たちは、抜群にうまく、カッコよかった。
身体能力、技術、モチベーション全てにおいて、完璧。近いようで遠い存在の彼女たちと共にフィールドに立ち、極みを目指す。そのための努力は惜しまなかったりし、何よりそんな自分が好きだった。
試合開始時間から逆算し、何時に寝ればベストコンディションになるのかまで考えて行動した。 私の生活は常にラクロスと共存していた。
リーグ戦真っ只中のある日、京都のグラウンドで試合。負けられない相手。
必ず勝つ、そう皆が心に固く誓って挑んだ。
何度も何度もシュミレーションし、身体に叩き込んだ動きを頭の中で確認した。
試合前までは緊張しっぱなしだったが、笛がなると不思議と緊張がやんだ。
試合中、その時はやってきた。思考と身体の動きがリンクし、仲間や相手の動きが手に取るように分かる。広いグラウンドを走りながら、研ぎ澄まされた感覚が身体中を駆け巡る。どれだけ走っても疲れなど感じることはない。初めての感覚で、実に爽快だった。
結果、試合は圧勝だった。
ラクロスがうまくなりたい、華麗に走り回りたい。そんな志しを持ってがむしゃらに練習に打ち込んだ成果が、まさに結果として現れた。ただただ、嬉しかった。
その感覚は、今も鮮明に覚えている。
4年間で、最も印象に残っている試合であり、ターニングポイントとなった試合だった。
私の大学生活4年間、ラクロスと共にあった。
その時間は、私という人間を構築する全ての要素に、絶大な影響を与えている。
唯一無二の存在である仲間との出会い。
忍耐力・考察力・行動力を養い、人生を豊かにしてくれた。
ラクロスに出会ったあの春の日には、想像もしていなかった。
私は本当に幸せだと噛みしめる。
ワーママとして歩んで、11年。
親となり、自分の親の偉大さを改めて感じる。
大学に行かなければ、ラクロスに出会うこともなかったただろう。
全く違う人生だったのかもしれない。親が環境を整えてくれたからこそ、今がある。
子供たちにも、可能な限り選択肢がある人生を歩ませてあげたいと切に願う。
運命的な出会いが、どこで待っているかは分からない。
息子の夢はプロのラクビー選手、娘の夢は人を助ける看護士。
実現するかどうかは、彼らの努力次第。とにかく自分でやるしかない。
壁にぶつかり、苦悩する日が待っているかもしれない。けれど何かに打ち込むこむ時間は、きっと子供たちの人生を豊かにしてくれるはずだ。
ひたむきに打ち込む姿で、誰かの心の奥深くにある感情を、揺さぶるきっかけになるかもしれない。親の欲目なのかもしれないが、その姿を見れたらどんなに幸せだろう。
だからこそ、環境を整えてあげる役目を、親として担ってあげたい。
子供たちと共に、ワーキングマザーとして、私自身の歩みを止めず突き進んで行こうと心に誓う。
5年後、10年後の未来はどんなんだろう。
今から楽しみで仕方ない。