子どもの夢をかなえるために、親として何ができるのか。「こうなりたい」「こうありたい」そんな子どもの純粋な心を、どのようにサポートしてあげたらいいのだろうか。
息子の夢はプロのラグビー選手。日本代表になり世界の強豪選手と肩を並べて戦うこと。夫とラグビーを熱く語る姿は、とても頼もしい。スケールが大きく、かつ明瞭な目標を持つ息子にいつも感心する。
私が子どもの頃、具体的な夢を持っていただろうか。古い記憶を呼び起こしても、息子のような明確な夢は見つからなかった。親として子どもの「こうありたい心」を、叶えられるサポートをしてあげたいと強く思う。
息子とラグビーの出会いは、小学1年生の秋。夫が高校・大学とラグビーをしていたこともあり、地元のラグビー団から声をかけられたのがきっかけだ。当時の私には「子どもにラグビーをさせよう」なんて考えは浮かばなかった。ラグビーと言えば、子どもの頃に父親がテレビで試合を見てる記憶程度。決して身近なスポーツだという認識なかった。
夫としては、自分が情熱を注いだラグビー。息子がするのであれば、こんなに嬉しいことはない。「親子でラグビーを語れる日が来たら最高だ」そんな夢を膨らましていた夫に、息子を託すことになった。当初乗り気ではなかったが説得し、体験に参加させた。
その頃、既に体操・スイミング・護身術を習っていた。3歳から始めた体操においては、息子の身体能力を存分に発揮していた。年長の時には、すでにバク転はお手のもの。保育園の運動会で、3連続バク転を披露するぐらいだった。
「体操は楽しい」「体操を続けたい」そんな息子の強い思いは、親として何よりも誇らしかった。体操の内村航平選手になれるかはさておき、「こうありたい心」を大切に育ててあげたい。私の心がそう感じていた。
小学生になると「バク宙ができるようになりたい」「ひねりをしたい」と、目標はより高くなっていた。息子の思いを叶えるべく、練習回数も増やした。息子の成長を実感するたび、とにかく嬉しかった。
その最中のラグビー体験。軽い気持ちでグラウンドに足を運んだ。息子がラグビーをしている姿を見て、心が震えた。「これだ・・・。」私の直感がそう語りかけた。ラグビーのルールも分からないが、「もっと見ていたい」そう感じた。もし、息子が「ラグビーをやりたい」と望むなら、全力で応援しようと心に誓った。
気がつけば、息子がラグビーを始めて5年。夫は今ではラグビー団のコーチの一員。体操やスイミングで培った能力を、幸いにも存分に発揮してくれてる。迫力あるぶつかり合い、スピード感のある走り。15人全員で守り、15人全員で攻める。そして何より、笛が鳴れば、敵味方関係なく、力の限りを尽くして戦ったお互いを称え合うノーサイド精神。年齢関係なく、その魅力が存分に溢れ出すスポーツに、今では息子も私達親も夢中だ。
「プロのラグビー選手になる」
息子の想いを、叶えるために何ができるのか。
「こうありたい心で選んだ道」を全力でサポートする。それが夫と私の役割だ。息子が思い描いた夢を、より現実的なものに導けるのであれば、その労力は惜しまずやっていきたい。
プロのラグビー選手になるには、どういう選択肢があるのか。活躍している選手が、歩んできた道はどんなものなのか。上手くなる為の練習方法は、どんなものがあるのか。限りなく情報を収集し、子どもに対し「情報の選択肢」を提供をしていきたい。
ラグビーの聖地である花園。身近にあるからこそ、本物のに触れる機会をたくさん作ってあげたい。一昨年初めて連れて行った時、息子の興奮した姿になんだか嬉しくなったものだ。
昨年、コロナ禍にも負けず、ひたむきにラグビーに向き合った高校生たち。去年は残念ながら見に行けない状況だった。いつの日か彼らの姿を、また息子と見に行こう。彼らの歩んできた軌跡が、息子の心に何かを残してくれるはずだ。
これから先に、険しい道のりが待っているかもしれない。ラグビーが嫌になってしまうかもしれない。心が挫けそうになってしまうかもしれない。だからこそ、伝え続けたい。どんなときでも「見守っている存在」であることを。
息子が思い描いた夢を、他の誰よりも「できる!と信じる」存在であり続けたい。「あなたなら大丈夫」「あなたなら出来る」そう子どもを信じて、応援し続けて行きたい。一番の理解者であり、一番のファンであり続けたい。
10年後、どんな未来が待っているのだろう。
プロとして活躍する息子の姿を想像してみる。それだけで胸が熱くなる。
これから先、何が待ち受けていたとしても。寄り添う存在であり続けようと、心に誓う。