愛を伝える方法

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もし妹が生きていたなら、38回目の誕生日。

今年も子どもたちと美味しいケーキに舌鼓を打ち、思い出話に花を咲かせた。

夏生まれの彼女は、向日葵のよう明るくみんなを照らしてくれる存在。そして屈託のない笑顔で、巡り合った人達の心を温め癒やしてくれる。私自身、妹を思い出すと真っ先に頭に浮かぶのが彼女の笑顔。心が沈んだ時、何度もその笑顔に救われたものだ。

定番のお誕生日の歌を家族で歌い、照れながらもケーキにたてたロウソクの火を消す仕草がとても可愛らしかった。チョコレートのプレートを切り分けたケーキにちょこんと移しかえ、主役である証をおいしそうに頬張る姿を見て、両親がほほ笑む。そんなごく当たり前の様な光景が、永遠に続くものだと思っていた。ロウソクの数が増えるたびに、両親がどんな思いで7月6日を迎えていたのだろう。自分が親となり、そんな思いを巡らせる。

妹の誕生日が来るたび、よみがえる記憶がある。子どもの頃、夏生まれが羨ましかった。妹と父が7月生まれ、母が8月生まれなのに対し、私は12月生まれ。たったそれだけの理由で、なんとなく仲間外れになっている気持ちや寂しさがあった。今思い出すと、そんなことで拗ねていた自分を恥ずかしく思うが、当時の私はとても真剣だった。

「どうして私だけ冬生まれなのー!」なんて駄々をこね、母を困らしたものだ。

名前もそうだった。私の名前は全て平仮名に対し、両親と妹は漢字。妹に関しては、とても印象的でキレイな組み合わせだった。初めて漢字の組み合わせを聞く人たちに、「キレイな名前だねぇ」なんて声をかけてもらえるぐらいだった。妹の名前は、彼女が母親のお腹にいた時に、すでに決まっていた。

名前に込めた想いや願いを、嬉しそうに語る両親を見るたび、「私も漢字がいいなぁ…。まーた仲間外れだ」なんて感じていた。

実際大人になり、名前が平仮名であることに感謝しかない。どこに載っていても、すぐに見つけられる上に、初めて会う人には平仮名であることに驚かれる。名前をきっかけに会話が生まれ、私の印象が相手の記憶に残っていく。

振り返れば、妹同様に名前から会話が弾むのだから、仲間外れなんてハズはなかった。両親の愛が込められた名前である事実はなんら変わらない。自分が親となった時、「女の子だったら平仮名にしよう」と思うほど、平仮名であることに今では誇りを感じている。「親の心子知らず」なんてことわざがあるが、まさにこの一言に尽きる。

5歳離れた妹に対しての、嫉妬だったのかもしれない。注目を集めて構ってほしかったのかもしれない。私は彼女が大好きし、とにかく愛おしい存在だった。だけれども病気を抱えて生まれてきたことで、両親の手をかける具合は格段違う事実。生死の境を幾度となく経験しているのだから、当然だ。とにかくその事実が寂しかった。でも当時は「寂しい。構ってほしい」なんて言える状況でもなかったし、幼いながらもその雰囲気は察していた。

1日1日、妹が生きてくれている事を感謝し、この時間が少しでも長く続くように心から願っていた両親。懸命に子育てしている両親に対して、わがままなんて言ってはいけない気がしていた。

だからこそ一年に一回、妹が主役の日が来るたび、私なりのわがままをコッソリ紛れ込ませていたのかもしれない。お祝いムードでかき消されてしまう程度の、小さなワガママ。寂しさを悟られないように、拗ねることで自己肯定をしたかったのだろうか。当時のビデオを見返すと、その会話になるとふくれっ面した私の姿が映っているのだから、なんとも恥ずかしい。

両親は私達姉妹へ、絶え間なく愛情を注いでくれていた。どちらが上下などなく、両親にとってはどちらもかわいい我が子。妹が病気を持って生まれて来ようとも、私への愛情は変わらない。お出かけ用にと、姉妹でお揃いの服をいつも準備してくれていた。母にとっては自分の服なんて二の次だった。私達姉妹のお揃いの格好を見て、ご満悦の母の姿があった。

もしも過去に戻って、幼い私に会えるなら「貴方はとても愛されているんだよ」「寂しがらなくていいんだよ」と声をかけてあげたい。

3人の親となり、子どもたちへの「愛の伝え方」の難しさを感じる時がある。分け隔てなく愛情をかけ、示しているつもりでも、子どもたちがどう感じ捉えるかはまた別問題だ。愛が目に見えて計れるもので、きっちり3等分出来るならこんな悩みはないのかもしれない。

先日、長女が大泣きをした。私と子どもたち3人は同じ部屋で川の字で寝ているのだが、長女が突然「ママの横で寝たい」と言い出したのがきっかけだった。全員寝相が悪い上に、上二人が隣り同士だと何かと小競り合いになるのもあって、なんだかんだで今のポジションに落ちついた。泣きじゃくる長女は「ずっとママの横じゃない」「二人はずっと横だからずるい」と打ち明けてくれた。そんな姿を見て、心が痛んだ。

同じ部屋で寝ていても、寝る前に必ず「大好きだよ。生まれてきてくれてありがとう」と声をかけていても、ほんの少しの距離が長女にとっては寂しかったのだろう。娘の目を見て「寂しい気持ちにさせてごめんね」と声をかけた。恥ずかしそうに涙を吹いて、はにかむ笑顔はとても可愛らしかった。

愛の伝え方は本当に難しい。子どもの年齢・性別・性格によって感じ方も大きく変わってくるのかもしれない。スキンシップをするのか、大好きな想いを言葉に乗せて伝えるのか、それとも子どもたちの行動を褒めるのか。すべてを掛け合わせ、愛を伝えるべきなのか。どんな方法であれ、「愛されている自覚」を子どもに感じてもらいたい。「自分はかけがえのない存在である」と思える感覚を持ってもらいたい。

リビングでくつろいでいると、膝にちょこんと座ってくる末っ子。「ママのこと、大好き」自然と嬉しい言葉をかけてくれる。ギュッとハグをしながら「ママも大好きだよ」と愛を伝える。その様子を察して、長女が駆け寄ってくる。思春期にはいろうとしている息子に寝る前に「大好きだよ」と伝えると、照れながらも小さい声で「大好き」と返してくれる。「この子達の親になれて、本当に幸せだ」心の底からそんな思いが湧き上がってくる。

言葉はとても大きな力を持つ。愛を言葉に乗せ伝え続けることで、子どもたちに自己肯定感も持ってもらいたい。長所も短所の含めて自分はかけがえのない存在である、誰かに必要とされている存在であると感じてもらいたい。

7月6日。妹の誕生日が来るたびに、よみがえる記憶。その記憶は親となった私にとって、子育てを振り返り、考えるきっかけを与えてくれる。空から見守ってくれている妹にとって、可愛い甥っ子姪っ子たち。彼女に分まで、子どもたちに愛を伝え続けていきたい。

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