ワンオペ育児、共働きがゆえの苦悩

『ワンオペ育児』

ワンオペとはワンオペレーションの略。

作業をすべて一人でこなすという意味。

そして「ワンオペ育児」とは、配偶者が健在している状態で、片方の配偶者が子育てや家事そして仕事の全てを、1人でこなさなければならない状況のことを意味する。

世の中に様々な造語があふれる中、これほど母親たちの心の内を表し、共感出来る言葉があっただろうか。子どもを授かり母となった時から、子育てに全力で向き合う日々。

子どもを愛し想う心が原動力となり、悩み苦しみながらも家事育児こなす。時間に追われ、心の余裕がない状況が積み重なり、心身ともに疲れ果てる。一体どれだけのママたちが、そんな状況に陥っているのだろう。

働く女性が増加し、日本の共働き世帯は今や全体の6割を超えた。ただ、女性が家事に費やす時間は休日関係なく4時間を超えているのに対し、男性は平日は54分、休日でも約1時間半。今なお、家事と育児における女性の負荷は圧倒的に高い。

どうしてこんな事が起きてしまうのか。

仕事も家事育児も、性別に関係なく平等にその機会が与えられるべきなのに。。。理不尽な現状に、憤りを隠せなかった。

私自身も母となり、ワーママとして歩む過程で、家事と育児の偏りに悩み苦しんでき。

共働きで対等なはずなのに、何故私だけがこんなに頑張っているんだろう。

限りある時間の中で、頭をフル回転させ、一日をこなす。そんな毎日で心も身体も疲弊し、不満が蓄積されていく。

その度に、夫に本音をぶつけ、話し合いを重ねてきた。けれども話し合いを経て、全てが納得する結論に至ることはないのだ。話し合いに疲れ果て、妥協する点を模索し、その妥協を受け入れる。その繰り返しだったように思う。3児の母となる今もなお、「なんだか違うんだけどな…」そんな思いを心にしまい込み、また日常に戻る。

我が家において、家事育児は私が主導である。夫はあくまでも参加する立場。なんともおかしな構図が成立してしていた。夫が何か家事育児をしたら「ありがとう」と私が声をかける。そして何より、家事育児の全ての責任が私にある現状に、憤りを感じずにはいられなかった。

夫の仕事は基本夜勤。朝9時に出勤し翌朝9時に退社するルーティンだ。夜勤明けの日は、疲労と睡眠不足でぐったり。本当に過酷な仕事だと思うし、できるなら労ってあげたい気持ちある。だからこそ、多くを望まず可能な限り家事も育児も一人でこなしてきた。大袈裟かもしれないか、私なりの夫への配慮の気持ちだった。

そんな生活の中で、心にある引っかかりは膨れ上がる一方だった。仕事が純粋に好きで、管理職まで経験した私にとって、一人目の育休復帰からの「時短選択」は、築き上げたキャリアを捨てることを意味した。時短の居心地の悪さと、これ以上のキャリアアップは望めないであろう現実に落胆した。

「時短だから。。。」そう思われたくない一心で、気が抜けない日々。とにかく結果を出さなければというプレッシャーが容赦なく襲った。仕事で疲れ果てて帰ってからは、休む間もなく家事と育児に追われる。その生活が何より辛かった。家族の幸せを願った道は、こんなに険しいものだったのかと現実を突きつけられた。

それなのに夫の環境は何一つ変わらない。いつも通りに仕事へ行き、いつも通り帰ってくる。私一人が多くのモノを諦め、失ったのに。それが何よりも悔しかった。

ワーママとしての歩んできた11年間で、何度その悔しさをぶつけてきただろう。仕事を続ける限り、やりがいを求めたい心をさらけ出してきた。最近では、私が感じている悔しさを、理解してくれるようになったと感じる。夫自身の環境が変わらないでいられる事へ、感謝の気持ちを伝えてくれるようになった。キャリアを失った事実は変わないしても、夫の気持ちと言葉で多少救われた気がした。それだけでも、私達夫婦にとっては、大きな前進だ。

先日、職場の男性との会話の中で、何気に使った「ワンオペ育児」という言葉。私の中では日常な言葉が、彼にとっては耳馴染みが無いようだった。「ワンオペ育児ってなに?」彼の素朴な疑問を知り、驚きと同時に妙な納得があった。

彼の素朴な疑問が意味するもの。それは男性と女性とでは、家事育児への認識が違うということ。親になり、子ども想う気持ちは同じ。けれど女性にとって育児と家事は切り離せない関係であるのに対し、男性はごく自然に切り離せてしまうのだ。「まさにこれに尽きる」そんな思いが頭の中を巡った。

夫婦の認識の違いは微妙なズレを生み出し、時間の経過と共にそのズレは大きな歪へと変化していく。

不公平感に苦しみ、心身ともに疲弊し、夫婦関係を解消しかないと思い詰める妻。かたや軽い口論や喧嘩程度にしか感じない夫。そんな構図は、どんな夫婦にでも起こりうるのだ。

仕事を続ける選択は、家族の幸せに繋がる。

そんな純粋な想いを、もう一度呼び起こす。子どもを授かり、命をかけても守りたい存在が側にいる幸せを噛みしめる。私達夫婦は言わば、「運命共同体」なのだ。

夫婦は、決して「利害関係」で成り立ってはいけない。11年の月日の中で、朧気ながら行き着いた結論。妻の分担が増えれば夫の分担が減り、妻の分担が減れば夫の分担が増える。そんな関係であってはいけない。

不満で心が支配されては、相手の言動を正しく評価するなんて出来ないはずだ。不満で心を支配される前に、不満を吐き出す方法を考えたい。納得するまで話し合い、二人で最善策を導いていきたい。

子育ての道のりはまだまだ続く。これから先、どんな壁が立ちはだかろうとも、何よりも強い心で乗り越えていくつもりだ。ゆっくりでもいい。子どもを愛し想う心を原動力に、歩みを進めて行こうと思う。

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